テクノプランター跡地

このWebサイトは1998年度アイディア対決ロボットコンテスト高専部門に出場した鶴岡工業高等専門学校Aチーム・テクノプランターについてまとめています。

スタッフトーク

2000年頃に収録されたチームリーダーと電子回路チーフによるテクノプランターについてのトークです。

スタッフ

SHU
当時5年生:Aチームリーダー/テクノプランター制作チーフ
cmMC
当時5年生:電子回路チーフ


アイディア・コンセプト

SHU
アイディアはまあ、誰でも思い付くようなスタンダードなやつでいこうって思ってた。
コンセプトはねぇ・・・、誰が操縦しても再現性の高い動作ができて、とにかく勝てるってことが最優先だった。
まあ5年間の最後ってこともあったし、担当教官からの圧力も大きかったから(笑)。

子機(種子)

cmMC
開発段階では種子が先だったと思うけど、細かいところで結構もめたような。
SHU
そうそう、弾数とか咲く機構とかね。一番もめたのが、本体からの射出の方法*1やったと思うわ。
とにかくルールの裏をかく・・・、じゃなくて、クリアすることでみんな頭がいっぱいだったと思ったな。
cmMC
その割には、着地がグレー*2な感じがしたけど?(笑)
SHU
まあそれは言わんといて(笑)。それさえクリアすれば、他はオールクリアなマシンだったんだよ。
逆にガラクテックキャノンの方はその部分では安心だったんだけど、テクノプランターとは逆でうまく得点するのが難しいっていうか。
cmMC
センサーはセンサーでそれなりに苦悩はあったけど、結果的には不安要素にはならなくてよかったよ。
SHU
そうだね、センサが命なマシンやったからねぇ。
cmMC
あの時は大学部門*3が色センサーの動作で荒れてたから、精度が出すのは無理だと思ってたけどね。
SHU
うーん、その点ではおれの方はだいぶ甘く考えてた感はあるなぁ・・・。大学部門でもいけるんなら、こっちでもやっちゃえってくらいの勢いでさ。
cmMC
甘いなぁ。でも結果的には夏休み潰した甲斐はあったよ。

本体

cmMC
射出機構の話がでたところで本体部分だけど、結構お気に入りだっけ?
SHU
うん、大好き(笑)
cmMC
なら自慢話でも聞きましょうか。
SHU
とにかく最小の体積で最小の重量でしかも高剛性っていう、ある意味機械構造物の理想を目指した感じ。で、その理想にかなり近いものに仕上がったと思う。
少なくとも自分の携わったものの中では一番完成度は高かったんじゃないかな。
cmMC
レールもフレームの一部と考えたら、相当強固だと思うけど、それも計算のうち?
SHU
もちろん。
cmMC
重量*4で悩むことはなかったからね。
SHU
そうだね。でも下級生のころはあれだけ重量には苦労したのになんか皮肉な感じがするな。

東北大会

cmMC
結果的には優勝だったけどしんどかったね。
SHU
一試合毎が全部つな渡りみたいだったなぁ・・・。
cmMC
特に緒戦(ころころ玉ころ大行進98)がね。いきなり電圧アップ*5の司令だからねぇ・・・
SHU
はじめて相手のマシンを見たときは「こいつには勝てねぇ!!」って思った(笑)。
cmMC
それにしても、最悪な処置だったよ。まぁ、結局それが効を奏したのかもしれないけど
SHU
ロボコンにおいてやっぱりスピードは命さね。それでルール違反したりってな苦い思い出もあるけどね。
cmMC
はみ出し*6ちゃったヤツね。
アレはのっけからやっちゃったね。昔なら一発失格だったけど。
SHU
まぁ、あのときのは愛敬ってことで。
cmMC
相手の不調がなければどうなったか。センサーがうまいこと働かなかったようで。
こちらとしてはスポットライト対策とか万全にしたのはよかった。
そして決勝戦はかなりドラマティックだったね。
SHU
やってる方は冷や汗もんだったって!(笑)
cmMC
自分は試合をリアルタイムに観てなかったんだけど(笑)、鶴岡的には本命マシンだったわけだし。
SHU
うーん、確かに試合をはじめるまでは勝てると思ってたんだけどさ、実際に試合をはじめてみると子機の調子が思ってた以上に悪くて*7狙いどおりに打ち込めなかった。かなり苦しい戦いだったよ。
終わった直後は絶対負けたと思ったもん。
cmMC
まぁ「おめでとう」って感じかな。もし負けてたらまず全国出場はなかっただろうし。
これはBチームのリーダとして一応いっとかないとなんないので(笑)*8
SHU
そうだね、それは覚悟してた。
cmMC
それにしても試合後のTV放送見て、初めて冷や汗みたいな感じか。
SHU
うーん、やっぱり試合中が冷や汗全開やったかな。
子機が狙いと違った方向に走りだしたときの衝撃といったらもうっ(笑)。
cmMC
それにガラクテックキャノンの時もそうだったけど、八戸コールが凄かった。まさにアウェイだ。
SHU
そうそう、周りがみんな八戸の応援団みたいな感じで。地元だから当然か。

全国大会

cmMC
東北大会から全国大会までの間が結構あったけど、結果的にはあまり実りがなかったというか…。
SHU
うん、時間的なシビアさがあったから大幅な改良はできなかったし、マシンの性格上練習を重ねれば重ねるほど精度が落ちてクセが強くなってったからね*9
本当は子機のシャーシを全部作り直したかったぐらいの気持ちだったよ。
cmMC
改良っていっても、親機も子機も足回りの電圧アップ、安易だよなぁ(笑)知らないかもしれないけど、それがいろいろ不具合をだしたりしてやりたいことがやれない状態になってたりする。
SHU
一番ほしかったのが打ち出し精度とスピード。でもその二つは両立するのが難しかったんだよね。
で、他のブロックのマシンを見て、スピードをとにかく上げれるだけ上げようと。
cmMC
まぁ、子機のノイズが電圧アップによって浮き彫りになったのはケガの功名だったんだけど、もう少し早い段階で見つかってればその後の戦況がちょっと変わってたと思う*10
SHU
うん、確かにね。
でも全国での一番の敗因は、やっぱり打ち出し精度が上げられなかったことだと思う。
スピード*11自体は旭川に追いつくことはできてたから、あとはあの状況でも命中させれるだけの精度があれば…。
まあ終わったことだけど(笑)。
cmMC
電圧の無駄遣いだとか、他高専に笑われたくらいだしね。スピードだけでいえば、大会屈指だったのは間違いない。
SHU
確かにね(笑)。基本設計の段階から考えると、かなりむちゃなチューニングしてもう別のマシンみたいだったじゃん。
cmMC
リレーは壊れまくった。よく試合中に壊れなかったと思うよ。
SHU
電池ボックスの接点も焼き切れてたしさ、危なかったね。
電気系統の故障*12で動かないのだけはかんべんって思ってたよ。
cmMC
不思議と試合中にはそれがなかったんだよね
SHU
もし止まったら「cmMC~っ、N-SAWA*13~っ!!」って叫んでたよ(笑)。そう叫ぼうって決めてた。
cmMC
相手が悪かったとはいわないけど、雅楽つんどきゃよかったね(笑)。
SHU
そうそう、ほんとにそう思ったよ。簡易型のランチャーつんどきたかった。
cmMC
高専でも、A/Bチーム合体させてるのがあったけど、やっぱ「やったもん勝ち」ってのはあるよね。
SHU
うん、そうだね。でもシンプルで単一の機能に特化してるのが当時の鶴岡高専アイデンティティでもあったわけだし、それをつぶしてまで合体させて・・・ってのはちょっと抵抗があったよ。
cmMC
それだけにTV放送の扱いはミニマムだったね
SHU
まあ周りのマシンがあれだけ派手だとねぇ・・・、もともと勝ちにいくだけのマシンだから。

最後に何か

cmMC
最後に言い残すことは何かある?
SHU
高専生活を通じて、M先生の鼻を触れなかったことが心残り。それとT先生ごめんなさい(いろんな意味で)。
cmMC
すげぇ内輪トークだな。
SHU
すまん。
cmMC
それで締めていいの?
SHU
ロボコンに対してはあんまり言いたいことは残ってないんだよぉ。
好きなことやれた工場*14はすんごい好きやった。
cmMC
あと、T中君*15に何かひとこと。
SHU
あの頃は本当にお世話になりました。これからも末永くガンバッテクダサイ。ココロヨリネガッテオリマス。
cmMC
おざなりだね。
SHU
いやいや(笑)
・・・T中君の活躍をはじめてみたときは「シャアだ、赤い彗星が帰ってきたんだ!」ぐらいの衝撃だったけど、今にして思えば彼がいなきゃ最後に優勝できてたかも微妙だったと思うし。
cmMC
今日はありがとうございました。余生を細々とまっとうしてください。

*1:最初はカーテンレールやプーリーなどで滑走させる形式が考えられていた

*2:毎年のことだがルールには穴がつきものであり楽しむポイントでもあるが、場合によっては製作途中にルール訂正の憂き目にあって土壇場で困ったことになる恐れもある。

*3:同年に行われた大学部門は、自動制御のロボットが2色の風船を識別して片方の色だけを割る必要があった。

*4:本体の重量は18kgまでだが、種子の重量の制限がない。よって、切り離して種子扱いにすることができれば事実上重量制限はないに等しかった。例:ロボコン大賞のMACH-CHAN1号

*5:その場しのぎな移動スピードアップに駆動電圧を上げるという方法がとられた。以降、スピードアップ=電池を増やすという安易な方式がシス研に根付いてしまった。

*6:初戦スタート直後に、設置禁止ゾーンに乗り上げてしまった。

*7:子機のフィールド接地時に微妙に向きが変わる問題

*8:テクノプランターが優勝しなかった場合、審査員推薦はガラクテックキャノンになっていた可能性が高かった。

*9:落下衝撃などの影響もあり、動作させるたびに部品のコンディションが変わっていった

*10:射出時に狙う島の色を決定できる機構など機能追加したいことは色々あった

*11:スタート時から位置取り(初弾発射開始)まで5秒

*12:試合中のトラブルで最もNGなものの一つ。マシンが全く動かない様子は見てる側も操縦者側としてもやりきれない。

*13:テクノプランター専任の電子回路担当

*14:鶴岡高専内の実習工場

*15:当時ロボコン参加が主活動のシステム技術研究会(シス研)から独立し、96年に地区大会優勝、97年も全国大会出場を決めた、鶴岡高専ロボコン史に輝かしい歴史を刻んだ人物。 彼の活躍中はシス研は影に潜むことになり、シス研メンバーからは一方的にライバル視されていた人物。